■ 親の終わりを考えるとき、優しくなれない自分がいた
終活を考えるとき、
まず浮かぶのは「自分自身のこれからを整える」ということ。
そして次に、「親の終活」というテーマが頭をよぎることもある。
でも、
親のことを考えたとき、どうしてもやさしい気持ちになれない。
何かモヤモヤする。
心のどこかがざわつく。
そしてそんな自分に気づいて、少しショックを受けたりする。
「私は親のことを心配できない人間なんだろうか」
「冷たいのかな」
「もっと優しくした方がいいのかな」
でも、その答えを急いで出す必要はありません。
親との関係の中で感じた小さな違和感や、
声にならなかった感情は、
年を重ねた今も、まだ胸の奥に残っていることがあります。
例えば、
- 親がいつも他人と比べてきた
- 自分の気持ちを聞いてもらえた記憶がない
- 大人になっても連絡が義務のように感じてしまう
こうした記憶は、「愛されなかった」ではなくても、
**“なんとなく心が冷えている感覚”**として残っていたりするものです。
■ 終活という言葉で、揺れてしまう感情もある
終活は、「命の終わり」を前提にした話です。
だからこそ、「避けていたこと」や「見ないようにしていたこと」に、
ふと向き合うきっかけになってしまうことがあります。
- あのときの親の態度がつらかったこと
- 自分がずっと“いい子”を演じてきたこと
- 本音を出すと、いつも否定された気がしていたこと
「親がいなくなる」と思った瞬間に、
そうした感情が浮かび上がってくる。
それに戸惑って、
でも誰にも言えなくて、
また心の奥にしまってしまう……。
でも本当は、
やさしくなれないのには、ちゃんと理由がある。
そしてその気持ちは、
整理されないまま残っていてもいい。
■ 終活は「自分の心を守る準備」にもなる
多くの人が思っているように、終活は「誰かのための準備」かもしれません。
でも同時に、終活は**「今までの人生の感情を、少しずつ整えていく時間」**でもあります。
それは、親にとってもそうですが、
親を見送る立場になる私たちにとっても、必要な時間です。
親と距離を置きたい。関わりたくない。
そう思っていても、現実には
- 相続のこと
- 死後の手続き
- 葬儀や遺品整理
など、避けられない出来事が起こります。
そのときに、「どうして何も準備してこなかったんだろう」と自分を責めないように。
いまのうちに、できる準備だけしておく。
例えば、
- 親が賃貸に住んでいるなら、退去手続きの流れを調べておく
- 相続放棄の期限が「3ヶ月以内」と知っておくだけでも違う
- 「通帳の場所もわからない」という事態に慌てないよう、最低限の仕組みを理解しておく
これは「親のため」ではなく、
“未来の自分を守るため”の終活です。
■ できることは、ほんの少しでいい
終活というと、「きちんと」「全部やらなきゃ」というイメージがあるかもしれません。
でも、本当に大切なのは「自分ができる範囲を知っておくこと」。
例えば、
- ネットで「親 死後 手続き」と検索するだけでも一歩
- ノートに「やりたくないことリスト」を書くだけでもいい
- 「もしものときは誰に連絡すればいい?」と自分なりに整理しておく
それだけでも、もしものときの**“自分の心の守り”になります。
終活は、“完璧”を目指さなくていいもの**です。
■ 「親のため」ではなく「自分のため」でいい
終活は、「家族のためにやるもの」という印象が強いですが、
私はこう伝えたいです。
終活は、あなたがあなたのために進めていいものです。
- もう関わりたくないけど、後悔はしたくない
- 無理に“いい子”を演じたくない
- でも、できることだけはやっておきたい
そんな気持ちに正直になって、
**“自分の人生を守るための準備”**として終活を使ってもいいと思います。
■ 最後に:気持ちはゆっくり整理していい
誰かのためになれなくてもいい。
自分が自分でいられるように。
無理をしないで、生きていけるように。
そんな想いで、
終活という言葉と、静かに向き合っていけたらと思います。
焦らなくていい。
まだ決めなくていい。
でも、心のどこかに
「やさしくなれない私にも、終活という道はある」
そう思ってもらえたらうれしいです。
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